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消えた天気予報

8月6日はウィークエンドウェザーの代役でした。
なんと、広島の町並みから生中継…
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と言っても神奈川にある緑山スタジオからの中継です。

29日(月)にTBSで放送されるドラマ「広島・昭和20年8月6日」のセットとして、
被爆前の原爆ドームがほぼ実物大に復元されているんです。
これが骨組みだけになってしまうと考えると…改めて原爆の怖ろしさを痛感しますね。

戦時中は天気予報は軍事機密にあたるということで、
3年8ヶ月もの間、一般には公表されていませんでした。
blog-2005-8 016.jpg 公開されなかった当日の天気図
情報が無いせいで台風などの災害が大きくなってしまったそうです。
天気予報を伝えられる今だからこそ、災害を未然に防ぐことができればと思います。

なんて原爆ドームのセットを前に複雑な心境になりましたが…
中継はチームワークが大事!!
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ディレクターをはじめとして今回もスタッフに恵まれ、前向きに仕事ができました。
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せっかくなので記念撮影。美術さんの技術って素晴らしいですねぇ。
中継で実感したのは、たった2分の天気コーナーも
大勢のスタッフが協力して作り上げた努力と汗の結晶だということです。

皆さんの力を元気玉のように受け取って頑張ろう!と気合が入りましたが…
やっぱりいつもと環境が違うこともあり、緊張して噛んでしまいました。。
いつでも落ち着き払った貫禄を醸し出せるよう、人生経験も積まなきゃですね。

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今年の原爆忌は、とても暑い日になりました。原爆が投下された8:15は、黙祷するこ 続きを読む

コメント(11)

戦時中は天気予報なかったんですか?!
相変らずの自分の常識の無さにびっくりです。
確かに台風情報や大雪情報、大波情報等々、今でこそあるのが当り前となっていますが、無いときの不便さを考えるとお天気キャスターの皆様に感服致します。
平素は大変お世話になっております。
今後とも宜しくお願い致します!

この広島の町並みが原爆一つで一瞬にして瓦礫になって
しまったことを考えると・・・戦争の恐ろしさを痛感します。

お天気情報を伝えられる今だからこそ、
お天気関係者の方々の働きによって、より多くの
災害被害者の方たちの命が救われているのだと改めて認識しました。

大変こともあるかと思いますが、この誇るべき仕事と共に
これからも頑張ってくださいね!!

広島には中学の修学旅行と2年前に行ったことがあります。もちろん原爆ドームも見たのですが、言葉にできない程の悲しみが湧いてきた事をおぼえています。ちょっとお天気とは関係なかったですね(苦笑)

火曜の生島さんの番組で「フラダンサーの~」なんて紹介されてて何の事だかわからずにいたんだけどやっと意味がわかりました(微笑)

 機密だったのは、「天気予報」ばかりではありません。
 森田さんの故郷・名古屋で1944年に発生した大地震も、あるいは平地からいきなり噴煙が生じ、「昭和新山」ができた有珠山の噴火も、当時は機密として報道されず、そのため、きちんとは伝えられていません。(この二つをつなぎ合わせた小説が、辻真先氏の『急行エトロフ殺人事件』です)
 気象などの自然現象を大声で話せない時代があったということを、伝えなければいけませんね。

当時の広島の原爆による惨状とそれに追い討ちをかける様に襲来した枕崎台風の中、果敢に観測を続けた広島地方気象台職員の働きを描いたのが、柳田邦男著『空白の天気図』(新潮社)というノンフィクションです。

又、当時国家機密とされていた膨大な気象情報を抱えていた中央気象台(現在の気象庁)の職員及び歴代台長の、敗戦に伴う様々な毀誉褒貶や心の葛藤を描いたのが、久保栄の『日本の気象』(三一書房)という戯曲です。

ともに綿密な取材を素に書き込まれた労作であり、この時期に限らずもっと広く読まれて然るべき作品だと思うのですが、残念ながら現在は両作品とも入手困難な状況にある様です。

私自身はこれらの書籍を(全く幸いにも!)図書館で読んだり、又演じられた芝居を観たりする事が出来たのですが、こういった良書を「いつでも」「手軽に」入手出来る様になれば良いのになぁ・・・と思わずにはいられません。

1945年の今日、8月22日に、ラジオでの天気予報が復活したそうです。この日付、きちんと覚えておきたいものです。

kinoさん
天気予報が生活の一部になっている今では、予報がない生活は考えられませんよね。
でもその分、昔の人に比べて空を見る機会が少なくなっているとも言えるかもしれません。
予報の技術だけではなく、雲の形や動植物などから天気を読み取る「観天望気」も継承していかなくては…。

TORIさん
ありがとうございます!
人命を守ることを第一に、注意を呼びかけるときはビシッと
穏やかな天気の時は安心感をお届けできるような天気予報を目指します。

こばとんさん
私は広島には行ったことがないのですが、母の実家がある長崎には子どもの頃から何度か行っています。
平和記念公園を訪れた時は幼心にも衝撃が大きかったようで、
絵日記にはみ出すくらい大きな平和記念像の絵を描いていました。
フラダンスは趣味ですよー!まだまだフラダンサーと呼べるほどではありませんが…。

mori_suguruさん
コメントありがとうございます。当時は地震や噴火も軍事機密になっていたのですね。
1945年8月22日およそ4年ぶりに天気予報が再開された際、予報は残念ながら外れてしまったそうですが
天気予報がラジオから流れたという事実に終戦を感じられた方が多かったと言います。
平和だからこその天気予報ということを忘れないようにしたいですね。

bluewindさん
いつもありがとうございます。
『空白の天気図』は会社においてあったので読むことができましたが、貴重な本だったのですね!
仰るとおり、「もっと広く読まれて然るべき作品」です。
『日本の気象』の方も探してみようと思います。
戦時中の話しを直接耳にすることが少ない今、書籍だけでも手に入れやすい環境になるといいですね。

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「観天望気(かんてんぼうき)」空を観察して天気を予測すること。ウェザーマップ気象予報士・元井美貴の周辺観察日記です。

元井美貴

元井の似顔絵
似顔絵 by のげいら
台風レポーターにあこがれて気象予報士に。その後、天気を楽しくわかりやすく伝えたいと「フラダンス天気予報」を考案。より多くの方に踊ってもらうため、日々研究を重ねている。

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